窯元のご紹介  Vol.2 宮城県 堤焼

今から300年前の元禄時代、伊達政宗の孫、伊達綱村(だてつなむら)が広めてから十代続く、仙台市泉区上谷刈(せんだいし いずみく かみやがり)の堤焼(つつみやき)について、窯元である針生 久馬(はりゅう きゅうま)さん、和馬(かずま)さんご兄弟にお話を伺いました。

堤焼を受け継ぐ

兄の針生久馬さん。弟の和馬さんと共に300年
の歴史を受け継いだ。

300年以上続く陶器の歴史。

堤焼を始めたきっかけを教えて下さい。

久馬さん堤焼は代々受け継がれていて、私たちで十代目になります。もとは、堤町(つつみまち)という、城下町の北はずれの関所に住んでいた武士たちが、地元で採れる良質な粘土を使って作ったのが始まりです。
その後、伊達政宗の孫である伊達綱村(だてつなむら)が、1700年前後の元禄時代に堤焼の前身となる、杉山焼(すぎやまやき)として広め、私たちの先祖もその頃、先代にやって来て始めました。もう、300年以上の歴史になります。

弟の針生和馬さん。兄と共に十代目として堤焼を支えている。

堤焼の窯元は、たくさんあったのですか?

和馬さん明治・大正の初期には堤焼の労働組合があり、堤町一帯だけでも10数件の窯元がありました。 当時は大きな水瓶や染め物用の瓶も作っていたのですが、水道の発達と共に水瓶から農地へ水を引くための土管になり、それもコンクリート製に変わり、窯元の数も減っていきました。 しかし、当時から私たちは花瓶や食器も作っていたので、水瓶や土管が無くなったから辞めようとはならずに済みました。

堤焼の器は、陶器の基本となる粘土づくりから行われる。
黒と白の海鼠釉(なまこゆう)と呼ばれる模様が特徴。

現在、土はどのように集めているのですか?

久馬さん私たちは地元の土を採り、粘土づくりから自分たちでしています。 今使っている粘土は、1999年に宮城県の県警北警察署の建て替え工事をするときに、警察から「土が採れるよ」という連絡を貰い、ダンプ2台分、約60t(トン)の土を入手できたので、それを使っています。 警察、消防、大手ゼネコンと連携を取っているため、たまに連絡があり、その都度現場に行って土を見に行くのですが、警察から電話が来ると一瞬ドキッとしますね。土が採れるかも、という嬉しい話なんですけどね(笑)

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堤焼ができるまで

土を素焼きの器に入れ、耳たぶくらいの固さになるまで乾燥させる。

手間暇をかけ、白と黒の
コントラストのある陶器が完成する。

堤焼ができるまでの工程を教えてください。

久馬さん掘った土に水を混ぜ、ミキサーで撹拌(かくはん)し、網で濾したものを水槽に貯めます。その後、数週間で沈殿して土と水に分かれるので、土のみを取り、耳たぶの固さまで乾燥させたら土練機(どれんき)に通し、室(むろ)に入れ一年間熟成させます。

和馬さん熟成したら練ってろくろで成形し、大きな壷なら1年、小さな食器なら3~4日、建物の中で乾燥させ、700度で素焼きをしてから釉薬(ゆうやく)で色付けし、また窯に入れて焼きあげるのが、大まかな工程です。

素焼きした陶器に上薬を塗る施釉(せゆう)の工程。
土だけでなく、上薬も地元で採れる素材を元に作られ
ている。

堤焼の特徴は、どの辺にあるのですか?

久馬さん素焼き後に黒色の釉薬(ゆうやく)をかけ、1~2日経ち乾いたら、白色の釉薬(ゆうやく)をかけます。黒は鉄分の色です。 主に地元の三ヶ森(さんやもり)の岩を砕いて使います。さらに、稲の籾殻(もみがら)を燻炭(くんたん)した籾殻灰(もみがらはい)を使うことで、海にいる海鼠(なまこ)のような模様に見えるので、海鼠釉(なまこゆう)と呼ばれます。
白色に籾殻灰と下地の黒が混ざってコントラストが生まれるのが特徴です。

茶碗や湯呑み、カップなどの食器類は、壷などよりやや薄く
作られ、土の配合も器の種類によって変えているという。

江戸時代の頃と現代の堤焼は、結構違うのですか?

久馬さん釉薬(ゆうやく)の調合を数パーセント変えるだけでも、色味が変化するので大きくは変えていません。しかし、形や土、色合いは少しだけ変えています。

和馬さん堤焼は元来、厚手のものが多いのですが食器は薄く作っており、使う粘土の種類も違います。半分は台原の土、3分の1は今いる上谷刈(かみやがり)の土、山形の土などをブレンドしています。

左は海鼠釉(なまこゆう)の柄。右は緑釉(りょくゆう)の柄。どちらも
使い続けると、ゆっくり味が出て風合いが変化する。

堤焼のお手入れは、どうしたらいいですか?

久馬さん堤焼は高めの温度で焼き、釉薬(ゆうやく)には鉄分も含まれているので、ある程度の強度があります。 お手入れは、土モノなので使うたびに、しっかり乾かしてもらいたいです。そうすれば相当長く使えます。使い続けると風合いも変わりますが、海鼠釉(なまこゆう)は焼きが強いので味わいも時間をかけて出てきます。

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震災への被害とその後の支援

被災した窯。内側のレンガが崩れて使えず、現在
も復旧の目処は立っていない。

3基の窯が全て壊れ、
稼働できない状況下での支援。

震災時の被災状況は、どのようなものだったのですか?

久馬さん3.11よりも、その後1ヶ月続いた余震で3基あった窯の中のレンガが崩れて全部駄目になり、棚に飾っていた器もほぼ全て割れてしまいました。
普通、2月、3月は年度末で記念品の発注が多いのですが、それも全く無く、窯を修復してくれるメーカーさんもゴールデンウィークまで、東北に入ってくることができませんでした。
さらに、地震で窯を置く焼き場の地面が傾斜してしまい、大きなガス窯は20tもあるため、未だに動かすことができません。

AGFが修復の支援をしたガス窯。小さく使い勝手が良いため、最も
稼働しているという。

なかなか稼働できなかったのですね。

和馬さん2011年の5月にメーカーの方が来てくれて、窯を応急処置してもらいましたが、本当に稼働できたのは、AGFさんに声を掛けていただき、一番使い勝手の良い小さい窯を修復できた2012年になってからです。

今の生産量は、震災前の3分の1程度です。AGFさんに窯を直していただき稼働できていますが、いつかは一番大きな窯も直したい。導入時のことも覚えていて、モノ以上の想いがあるので、いつかは直してやろうと思っています。

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お分けする器のテーマ

フリーカップには持ちやすさを考え、指のかかる「えく
ぼ」のようなへこみを付ける工夫をしている。

扱いやすく、堤焼らしさも表現した陶器を。

お分けする陶器は、どんなタイプですか?

久馬さんひとつはアイスコーヒー用に使われることをイメージし、タンブラータイプのフリーカップを考えています。もうひとつは、通年で使えるコーヒーカップとソーサーです。こちらは、フリーカップと色味を変えたいと思っています。

和馬さんフリーカップの利用シーンとしては、アイスコーヒーはもちろんですが、色んな飲み物にも使ってもらいたいです。容量は250mlで、女性でも持ちやすいように「えくぼ」のようにへこみを付けて工夫をしています。

器の裏側に押される「乾馬窯」の刻印は、堤焼を支える匠たち
の合作の証。

陶器を作る際に考えたことは?

久馬さん扱いやすく、手に馴染みやすいことと、堤焼らしさを表現しようと考えました。堤焼独特の海鼠釉(なまこゆう)や緑釉(りょくゆう)の色味であったり、土の感じを出したいです。
陶器の下の部分は素焼きの状態を見せるのが、堤焼の特徴なので土の色も分かります。また、陶器の裏には「乾馬窯(けんばがま)」の焼印を押し、それが堤焼の証となります。 茶道の道具や一品物には、私たち兄弟の「久馬」「和馬」の印もありますが、この「乾馬窯」は甥っ子がろくろをひき、お弟子さんが成形し、僕が釉薬(ゆうやく)を作り、弟が釉薬(ゆうやく)をかけ、さらに僕が焼くという合作になります。

製作途中のフリーカップ。コーヒーに限らず、ご家庭では
自由な使い方をして、新しい発見をしていただきたい。

どんな風に使っていただきたいですか?

和馬さんコーヒーカップやソーサーでも、コーヒーを飲むためだけと決めつけずに使っていただきたいです。コーヒー用に作っていますが、考え一つで自由に用途を変える陶器。例えば、お花を活けるとか、ちょっとしたお料理を盛ってもいい。私たちも考えない使い方を発見していただけると嬉しいです。

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皆様へのメッセージ

昨年の親子陶芸教室で作った生徒さんたちの作品。

堤焼を通して、前向きに頑張っている
私たちを知ってもらいたい。

昨年夏に開催された親子陶芸教室の思い出を
聞かせてください。

久馬さんAGFさんに直していただいた窯で、親子と陶器を作る体験は、私たちにとっても新鮮でした。今はスマホでゲームをする子や、休みの日に親と遊べない子も多いのですが、みなさん喜んで一緒に陶器を作っていました。
完成まで大体2ヶ月半かかるのですが、忘れた頃に器が届いて、お子さんが「あのとき、こういうの作ったよね!」と、思い出して喜んだという話を伺うと、携わって良かったと思います。
粘土の塊から2時間程度で世界に一つしかない作品ができる体験を通して親子の会話が生まれるのも、すごく嬉しいです。


お子さんには、どんな人がどんな風に陶器を作っているかなど、焼き物をきっかけに、ひとつのモノを色んな視点で見られるようになってほしいと伝えています。

親子陶芸教室で作った陶器を9月に六本木ヒルズで展示した時も、参加者の親戚・知人の方から声をかけていただき、人と人の交流を経て、話題として広がっていくのを感じることもできました。

より深刻な被害を受けた人たちがたくさんいる中、自分たちはまだ良
かった方。お弟子さんたちのためにも、前向きに頑張っていることを伝え
たいという。

皆様へのメッセージをお聞かせください。

和馬さん堤焼を受け継でいますが、300年かけても認知度はまだまだです。今の時代はモノが溢れていて、堤焼を知らない人もたくさんいます。
震災もありましたが、これからはお弟子さんも含め、私たちのことを、もっと知ってもらえるように前向きに頑張りたいし、それが今のやりがいにもなっています。

堤焼で作った陶器製のコーヒードリッパー。多くの人
に知ってもらえるよう、今までにない新しいモノづくり
にも挑戦している。

とても素敵なやりがいですね。

和馬さんお金を出して陶器を買っていただいているので、お客さまに失礼のないよう、作り手として嘘のないようにということを守っています。 そうすれば、堤焼を手に取ってもらった人に私たちのことを、きっと分かってもらえる、知ってもらえると思っています。

器の販売は終了しました。ご支援いただき、ありがとうございました!

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