故郷の器を復興する、四度目の挑戦。
末家焼との出会い
文夫さん亘理伊達家(わたりだてけ)の御庭焼(おにわやき)として始まった末家焼(ばっけやき)は、文化文政時代に隆盛を極めました。しかし、戊辰戦争での敗北により、製法が書いてある「統合伝書」を燃やし、窯も壊し、一度、歴史から消えてしまいます。
その後も、復興や廃窯(はいよう)を繰り返す運命を辿ってきましたが、1985年に私たちが四度目の挑戦として末家焼を始めました。妻が京都で勉強し、地元の亘理に末家焼があるという話を聞いたことがきっかけです。