神秘に触れる夜 ~十六勅祭社筆頭格 上賀茂神社 第四十二回式年遷宮~

インターネット生中継配信は終了しました。

10月15日にAGF Loungeにて配信された上賀茂神社「正遷宮」の生中継番組「神秘に触れる夜」のダイジェスト版を、KBS京都テレビにて放送します。KBS京都テレビ放送日:平成27年10月30日(金) 19:00 - 19:55

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説明の補足

カミの語義 [かみ の ごぎ]
大和言葉(やまとことば)でカミ(KAMI)とカモ(KAMO)クモ(KUMO)クマ(KUMA)というのは、同じ語源の言葉が母音変化したもの。古来、カミ(神)はクマ(隈)で、奥まった所におわしますものと考えられてきました。このあたりをカモ(賀茂)というのも、淀川上流の奥まったカミ(神)のおわします所だからです。つまりカモはカミの聖地に他なりません。
カモ神話 [かもしんわ]
カモ(賀茂)の神様については、今から1300年程前(奈良時代初期)の『風土記』などに伝説が書かれています。それによれば、上賀茂の神様は特別な威力を持つ雷を支配する神(別雷:わけいかづち)であり、また下鴨の神様は、その別雷の御祖神(みおやかみ:親の神)です。別雷神はこの地域に雨水と豊作をもたらす自然神であり、また御祖神は別雷神を当地に祀ったカモ(賀茂)氏の祖先神(そせんしん)とみられます。
当社の神様は中世以降、落雷の多い関東に数多く勧請(かんじょう)されており、そこからも別雷神は一般の雷神をも支配するほどの特別な威力を持つ神様として、信仰されていたことがわかります。
古代日本人のカミ(神)信仰は、人々に脅威と恩恵をもたらす自然と祖先に対して、畏れ敬い感謝することが根本にあります。その自然信仰と祖先振興の両方が、カモ(賀茂)の神に最も良く表されています。
葵祭 [あおいまつり]
葵祭という名称は、葵(三葉葵)を家紋とした徳川氏の影響もあって、江戸時代に普及しましたが、すでに1300年以上前から毎年旧暦4月(現在の5月)に行われていた賀茂祭には、必ず葵(二葉葵)と桂が飾られてきました。 葵(あおい)は歴史的仮名遣いで「あふひ」と書きますが、これを平安時代以来「ヒに会う」と解してきました。ヒは日(サン)でもあり火(ファイヤー)でもあり霊(スピリット)=人でもあります。そこで、ヒに会えば大きな力(パワー・エネルギー)がいただけると考え、その具象として葵を大切にしたのだと思われます(葵は陰で女性、桂は陽で男性。その組み合わせで生命の繁栄を表すとも言われています)。
この賀茂祭は、初め(ほぼ6~7世紀)カモ(賀茂)地域におけるカモ(賀茂)氏のための「氏祭(うじのまつり)」でしたが神威(神徳)が知れ渡り、奈良時代(ほぼ8世紀)には山背(山城)国一帯の「国祭(くにのまつり)」として賑わうようになりました。さらに平安時代(ほぼ9~12世紀)を迎えると、平安の宮都(みやこ)を中心とする日本国の守護神として、天皇が勅使を遣わして御祭文(ごさいもん)と御幣物(ごへいもつ)を奉られる(さらに皇女を斎王としてカモの祭に仕えしめられる)「勅祭」になったのです。
しかも、今なお勅祭として続く葵祭には、古い氏祭・国祭としての要素が残っており、本質的には日本古来の自然神・祖先神が毎年神威を更新される祭となっています。それゆえに、京都の三大祭といっても、平安中期から盛んになる都会的な祇園祭、また明治中期に始まった近代的な時代祭とは異なる、古風な品格の高い祭として特別な地位を保っています。
式年遷宮・正遷宮 [しきねんせんぐう・しょうせんぐう]
式年とは一定の年数であり、遷宮(せんぐう)とは宮を遷(うつ)す(宮殿をうつし替える)こと。厳密に言えば伊勢神宮のごとく20年ごとに、宮(御屋=社殿)も御神宝なども造り変え、新宮へ神遷しをすることです。臨時の仮遷宮に対し、正式な正遷宮(しょうせんぐう)とも言います。しかし、おおよその年数(数十年以内)ごとに、宮(本殿)を修理して神遷しをするときも、今では式年遷宮と言われています。
上賀茂神社では、長らく不定期に修理遷宮が繰り返されてきました。平安中期の後一条天皇が長元9年(1036)に21年ごとの式年遷宮を定められたと伝えられていますが、それは容易に実施できませんでした。ただ、最近、京都精華大学講師の小出 祐子 氏が、上賀茂神社の古文書を詳しく調べて明らかにした研究報告によれば、江戸時代を通じて上賀茂神社では、21年ごとの定期的な修理遷宮を希望して朝廷と幕府に申請したものの、経費を出す幕府が容易に許可せず、結果的に延びて30年前後となったようです。
また、幕末の文久3年(1863)には、孝明天皇から21年目ごとの遷宮を仰せ出されましたが、明治時代には一度も行われず、約50年ぶりに大正3年(1914)第38回の修理遷宮が行われました。次いで昭和12年(1937)、さらに同48年(1973)と少し間が開いています。前回の平成6年(1994)は満21年で行われ、同じく今回の平成27年(2015)も正に満21年で修理遷宮が行われるので、文字通り式年遷宮と称してよいと思われます。
本殿と権殿 [ほんでん と ごんでん]
上賀茂神社の別雷神(わけいかづちのかみ)は、奈良時代初期の『風土記』によれば、賀茂川から流れてきた矢を拾って身ごもられた玉依姫(たまよりひめ)の子として生まれたと伝えられています。しかも、その父君にあたる丹塗りの矢(にぬりのや)が、火雷神(ほのいかづちのかみ)と言われる雷神で、近くの小高い神山(こうやま)の頂上に降臨されたのだと信じられています。
それゆえ、古くは神山の大きな岩(岩座:いわくら)で祀れていましたが、やがて麓にある現在地のあたりから神山を遙拝(ようはい:遠くからおがむこと)する形に変わったものと考えられます。
社殿(しゃでん)が建て替えられたことの確かな記録は、天武天皇の678年が初見です。ただそれは、いわゆる本殿のない遙拝殿(ようはいでん)であったと思われます。しかし、奈良時代には、別雷神を常時お祀りする本殿(ほんでん)と、その修理に際して神様を臨時に祀る権殿(ごんでん)とを、左右に並べた現在のような社殿の形が出来上がったものと考えられます。
本殿と権殿は全く同じ構造になっており、江戸時代に上賀茂神社の関係者によって描かれた図面を見ると、中央に神様のおわします神座と、その周りを囲む御帳台(みちょうだい)があり、入口の御扉(みとびら)に近い所に大きな御物棚(おものだな:神饌(しんせん)を並べる棚段)があります。この御扉は当社の主要な祭のときに開かれて神饌が供えられます。
このように、本殿と権殿を並べて造り、本殿の修理中も権殿で神様を同じようにお祀りできるようにしてあるとことは、他にほとんど現存しません。どんなときも神様を正式に敬い祈ることができる社殿を1200~1300年も前から造られているのは、素晴らしい英知の表れだと思います。
国宝と重要文化財(こくほうとじゅうようぶんかざい)
上賀茂神社は、貴重な文化財の宝庫です。特に本殿と権殿は、幕末(1863年)に古式通り建て直されたもので、国宝に指定されています。
ます。また他の建造物(祝詞舎・神宝庫・直会所・楽所・幣殿・忌子殿・唐門・楼門・拝殿=細殿・舞殿・橋殿・土屋=着到殿・外幣殿・北神饌所=庁屋、新宮社=貴船社・片岡社など、大部分が江戸初期1628年ころの建造)、および「神主」「賀茂別雷神社古文書」(1万3639通一括)など41が国の重要指定文化財、さらに神社の境内全体が国指定史跡でありユネスコ世界文化遺産に登録されています。
桧皮の葺替(ひはたのふきかえ)
これらの建造物は、ほとんど桧皮で屋根を葺く桧皮葺です。美しい桧の皮は、大変に入手困難ですが、当社では今回式年遷宮の機会に155トンも確保し、今秋すでに41棟、遷宮後に29棟の葺替が行われます(総費用約12億円強)。
陰陽串 [おんみょうぐし・おんにょうぐし]
串(くし)は、榊(さかき)の枝に麻や紙などをつけて、穢(けがれ)を祓ったり、神様を招いたりするときに用いられます。これを忌串(いぐし=いみぐし)とも祓串(はらえぐし)とも言いますが、上賀茂神社では古くから陰陽串(おんみょうぐし・おんにょうぐし)と称されており、お祓いが済むと「ならの小川」に流されます。
ならの小川 [ならのおがわ]
『新古今和歌集』に収める八代女王の恋歌に「みそぎする ならの小川の河風に 祈りぞわたる下にたえじと」と詠まれており、また『百人一首』で有名な藤原家隆の歌にも「風そよぐ ならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏のしるしなりけれ」と詠まれている通り、この小川は禊(みそぎ:心身を祓え清めること)の名所であったことが分かります。
ならの小川の途中、庁の舎(ちょうのや)のあたり、贄殿(にえどの)北神饌所(きたしんせんしょ)の脇に「奈良社」という摂社(せっしゃ)があります。その祭神は「奈良刀自(ならとじ)の神」と言われており、楢の葉を綴じ合わせた皿に神饌を盛り付けて供える役割を務める女神が祀られています。小川を「ならの」というのも、奈良社の側を流れるところから名付けられたとみられます。
透廊から遙拝 [すいろう から ようはい]
上賀茂神社の古い在り方は、北の方の小高い神山(こうやま)と称される、お椀を伏せたような美しい神奈備(かんなび)山に降臨された別雷神(わけいかづちのかみ)を遙かに拝む遙拝殿(ようはいでん)であったと思われます。
そのために、神様が常在される本殿(ほんでん)と、臨時に祀られる権殿(ごんでん)を造る際、その間を広く空けて、中央の透廊(すいろう)から北方の神山を遙拝することができるような形に作られたのだと考えられています。
勅祭社 [ちょくさいしゃ]
天皇陛下が各社の最も重要な例祭に宮中から勅使(ちょくし)を遣わされ、御祭文(ごさいもん)と御幣物(ごへいもつ)を奉られる特に由緒の深い神社。伊勢神宮を別格として、京都の上賀茂神社・下鴨神社と石清水八幡宮、奈良の春日大社、島根の出雲大社、福岡の香椎宮、大分の宇佐神宮、愛知の熱田神宮、埼玉の氷川神社、茨城の鹿島神宮、千葉の香取神宮、および明治以降に創建された奈良の檀原神宮、滋賀の近江神宮、東京の明治神宮と靖国神社、以上16社(賀茂を上下あわせて一部とみなせば15社)が対象とされています。
筆頭格 [ひっとうかく]
勅祭社(ちょくさいしゃ)の中でも、3月13日の春日祭、5月15日の賀茂祭(葵祭)、9月15日の石清水祭は、特に三勅祭と称されており、勅使(ちょくし)が最高級の束帯姿(そくたいすがた)で参向されます。他は衣冠姿(いかんすがた)です。
また、勅使の御祭文(ごさいもん)には、平安前期(9世紀)以来、賀茂の神様に対してのみ「賀茂皇大神」(かものすめおおかみ)と称されています。これは賀茂社が平安遷都以来、伊勢の神宮に準じて、皇室・皇国の守護神=皇大神(すめおおかみ)を祀る神社とみなされたからだと思われます。その意味で上賀茂神社は16ある勅祭社の中でも、筆頭格と言えます。
祭文の色 [さいもん の いろ]
勅使(ちょくし)が奏上(そうじょう)される御祭文(ごさいもん)の用紙は、すでに平安中期(10世紀)にまとめられた『延喜式』に記されており、伊勢神宮が縹(はなだ)色、賀茂両社が紅(くれない)色、その他の石清水八幡宮などが黄色と定められています。
この鮮やかな紅色の祭文は、5月15日の葵祭で社頭の儀に参拝すれば、下鴨神社の舞殿(まいどの)と上賀茂神社の橋殿(はしどの)において、勅使が奏上される様子を拝見することができます。
御幣物 [ごへいもつ]
御幣物(ごへいもつ)は、神前にお供えするものであるため、お酒でもお金でも良いのですが、本来は幣帛(へいはく)とも言うように、絹や麻などの布地が供えられてきました。天皇陛下が勅使(ちょくし)に授けて供える御幣物も、五色に染められた絹と麻と木綿の布地を柳の箱に納めて神前に捧げられます。
五色というのは、いわゆる陰陽五行思想の影響から、四方を表す青・赤・白・黒と中央の黄の五色とされています。
遷御の儀 [せんぎょ の ぎ]
本殿(ほんでん)を修理するために昨年から権殿(ごんでん)へ移し祀られてきた別雷神(わけいかづちのかみ)が、修理を終えて美しく飾られた本殿へお遷りになる儀式です。もちろん、一般の者は遠くからしか拝見できませんが、田中宮司の捧持される神様が、絹垣(きんがい)に囲まれて権殿から出られ、前の廊下を通って本殿の中へとお渡りになるのだと思われます。
御神宝 [ごしんぽう]
御祭神(ごさいしん)が必要とされる、いわば身の廻りの品々。一般に御神服(ごしんぷく)や鈴・鏡・剣・琴などが多いようです。
上賀茂神社では御神服以外は、本殿(ほんでん)と権殿(ごんでん)の両方に同じ物が供えられています。
これは、一方に神様がおわしますとき、非常事態が生じたら直ちに、他方へ移っていただけるように配慮されているからです。正遷宮(しょうせんぐう)では、数十種類の御神宝が本殿に納められますが、権殿用の御神宝は、権殿代の意味合いを持つ忌子殿代と呼ばれるところ(昔の忌子殿:いごでん)に納められており、後日間もなく権殿へ納められることになります。
神様のお召し物である御神服は、前回の平成6年(1994)に新調されたものですが、神様と不離一体のもので一具のみのため、遷御(せんぎょ)の際は神様と共に権殿から本殿へ移されます。なお、御神宝に含まれる武具は、神様が人々のためにツミヤケガレを祓う力を強増されるように、という願いを込めて納められると言われています。
神々の常若 [かみがみ の とこわか]
日本古来の神様は、欧米などの一神教で信仰される絶対的なゴッドと異なり、ほぼ一年ごとに活力の再生を繰り返しながら永遠の若さを保っています。それを常若(とこわか、エバーユースフル)と言います。
毎年、葵祭の3日前(現在5月12日)夜中に「御阿礼」(みあれ=御生れ)の祭が、本殿より奥の小高い丸山の近くで行われます。また下鴨神社でも、同日午前に「御蔭」(みかげ)の祭が、八瀬に近い御蔭山の神社で行われます。その際に神様が生まれ変わり、新しい力を備えて蘇られるので、神様は常に若々しいのだと信じられています。
玉串拝礼 [たまぐしはいれい]
玉串は「玉=魂」つまり祀る人の思いを、祀られる神様のもとへ届ける仲介の串で、榊(さかき)の枝に木綿(ゆう)や紙垂(しで)を懸けて神前に捧げられます。
サカキは「栄木」とも「榊」とも書きますが、永遠の生命を象徴する常緑の小高木です。葉に光沢があり、神様に供えるのに最もふさわしいとされています(榊は和製漢字)。
献饌と撤饌 [けんせん と てっせん]
遷宮(せんぐう)とは単に美しくなった本殿(ほんでん)に神様が遷られるだけでなく、そこで神様が神饌(しんせん:神様のお食事)を召し上がられることに意味があります。その神饌を献上することが献饌(けんせん)であり、それをお下げすることが撤饌(てっせん)です。
日本古来の神々は人間と同様に、新鮮な美味しいものを召し上がると元気になって神威(しんい)も高まり、人々に大きな恵みをもたらすと信じられています。そのため人間が一番美味しいと思うものをお供えし、心を込めておもてなしします。
ちなみに、まもなく11月23日に宮中や民間でも行われる新嘗祭(にいなめさい)は、「ニへ・アヘのマツリ」で、贄(にえ)=神様への供え物で、饗(あえ)=神様をもてなす、という意味が込められた祭です。
調理神饌 [ちょうりしんせん]
神饌(しんせん)は最も大事なものであるため、なかなか拝見できません。40年程前、上賀茂神社の故実に詳しい神職が「旧儀を正確に後世まで残す」ために、あらゆる神饌を撮影し図解して、既に出版もされています。
一般の神社や家庭のように、お米・お魚・お野菜・果物などを生のまま丸物で供えるのではなく、すべて煮炊きしたり切り揃えたりして、神様に召し上がっていただきやすいように調理した熟饌(じゅくせん)になっています。しかも、上賀茂神社の神領であった所やゆかりの産地から奉納されたものが多く、まさに山海の珍味が盛りだくさんです。
ご飯・お餅・お団子・お刺身・お菓子(ブト・マガリ)などは高く盛り付けることになっています。それらを神職たちが順々に手送りしながら運ばれますと、宮司が御扉(みとびら)の中に入られて御物棚(おものだな)に次々並べ供えられるそうです。
タベモノ [たべもの]
神社のお祭では、お供えしたもののお下がりを神様からの賜り物、つまり「タベモノ」として、お参りしたみんなで飲み食いすること(直会:なおらい)により、神様のお力を分けていただくことができると信じられています。
日本人は、食物(くいもの)のことを大和言葉で古くから「タベモノ」と言い、また食事の前に「いただきます」と言います。これは、人間が生きていくのに不可欠な口に入れることのできる食物を、神様からの賜り物(タブモノ=タベモノ)と考え、単なる食い物(餌=エサ)として摂取するのでなく、神様から頂戴するものであることに感謝しながら「いただきます」と言っています。

用語解説

葵祭 [あおいまつり]
1300年以上前から毎年旧暦4月(現在は5月)に行われているお祭。必ず葵(双葉葵)と桂が飾られます。勅使をはじめ、神職も参列者も皆葵と桂を身に付けます。
衣冠束帯 [いかんそくたい]
衣冠とは平安時代以降の官人の宮中での正装である衣冠姿(いかんすがた)のことで、最高の正装のことを束帯姿(そくたいすがた)と言います。
御物忌川 [おものいみがわ]
上賀茂神社の社殿(しゃでん)の東側を流れる川のことです。
御物棚 [おものだな]
神様のお供え物を並べておくための棚のことです。
上賀茂神社 [かみがもじんじゃ]=賀茂別雷神社 [かもわけいかづちじんじゃ][
正式には「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)」と言い、祀られている神様は下鴨神社の御祭神(ごさいしん)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)の御子神と言われている、賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)。そのため、上賀茂神社と下鴨神社を合わせて賀茂社(かもしゃ)と呼ばれています。上賀茂神社の本殿(ほんでん)と権殿(ごんでん)は国宝であり、その他、41の社殿(しゃでん)が国の重要指定文化財となっています。また、世界文化遺産にも指定されています。
神奈備 [かんなび]
神様が住まう山や森のことです。
絹垣 [きんがい]
神様を覆い、垣のように張りめぐらして囲っている布のこと。神様を新殿へ移す際に用います。
献饌 [けんせん]
神様が召し上がるお食事である、神饌(しんせん)を神様におすすめすること。一般的に神饌としてはお米やお酒、海の幸、山の幸、お塩、お水などが供えられます。
神山湧水珈琲 [こうやまゆうすいこーひー]
世界で初めての、湧きだす水に合わせて作られた珈琲です。
御祭文 [ごさいもん]
天皇陛下が勅使に託し、奉られる祝詞(のりと)のことです。
御神宝 [ごしんぽう]
御祭神(ごさいしん)にお供えする宝物のこと。一般に鈴・鏡・剣・琴などが多く、それを上賀茂神社では本殿(ほんでん)と権殿(ごんでん)の両方に同じ物が供えられています。ただし、賀茂社では御神服(ごしんぷく)は神様と一体のものなので、一枚のみ供えられます。
御神霊 [ごしんれい]
上賀茂神社においての御神体は社の北にあり、賀茂別雷大神の降臨地である神山(こうやま)を指します。式年遷宮でお遷りいただくのは、その神様の御霊(みたま)である御神霊(ごしんれい)となります。
御幣物 [ごへいもつ]
神様へのお供え物のこと。「幣」は布を意味し、幣帛(へいはく)とも言うように布類を意味しています。勅使が供えられる御幣物は、森羅万象(しんらばんしょう)を表す五色の反物で、天皇陛下から授けられたお供え物として捧げられています。
御祭神 [ごさいしん]
神社に祀られている神様のこと。上賀茂神社では賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)を指します。下鴨神社では、その御祖神(みおやかみ:親の神)である、母親と祖父の神様が御祭神として祀られています。
榊 [さかき]
サカキは「栄木」とも「榊」とも書きますが、永遠の生命を象徴する常緑の小高木です。葉に光沢があり、神様に供えるのに最もふさわしいとされています(榊は和製漢字)。
式年遷宮・正遷宮 [しきねんせんぐう・しょうせんぐう]
式年とは一定の年数を意味し、遷宮とは宮を遷(うつ)す(宮殿をうつし替える)ことを意味します。厳密に言えば、伊勢神宮のごとく20年ごとに、宮(御屋=社殿)も御神宝(ごしんぽう)なども造り変え、新宮へ神遷し(かみうつし)することを言います。しかし、おおよそ数十年以内ごとに、宮(本殿)を修理して神遷しをするときも式年遷宮と言います。
賀茂の斎王 [かも の さいおう]
伊勢神宮の斎王にならい、平安時代の初めから上賀茂神社、下鴨神社の両社(賀茂社)の祭りにお仕えすることになった未婚の皇女のことです。
社殿 [しゃでん]
お社(おやしろ)とも言い、神様が寄り付かれる場所。神様を祀る建物のことです。
熟饌 [じゅくせん]
生のままではなく、神様にすぐ召し上がっていただけるように調理された神饌(しんせん)のことです。
神威・神徳 [しんい・しんとく]
神様のお力、また、神様が人々にもたらすご利益のことです。
神座 [しんざ]
神様が社殿の中で座られる場所のことです。
透廊 [すいろう]
両側に壁のない渡り廊下のことです。
皇大神 [すめおおかみ]
伊勢の天照大神(あまてらすおおみかみ)を皇大神と言い、それになぞらえ、京の守護神として賀茂皇大神(かものすめおおかみ)と言われるようになりました。
摂社 [せっしゃ]
本社と縁の深い、本社に次ぐお社(おやしろ)のことです。
遷御 [せんぎょ]
神様が新しくなった社殿へとお遷りになる儀式のことです。
奏上 [そうじょう]
神様などへ感謝やお願いごとを申し上げることです。
田中安比呂宮司 [たなかやすひろぐうじ]
賀茂別雷神社(上賀茂神社)第204代の宮司(ぐうじ)。昭和17年、三重県に生まれる。昭和40年、国学院大学神道学専攻科修了後、同年、明治神宮(東京都)に奉職。平成3年に明治神宮禰宜、平成9年に同神宮責任役員並びに権宮司に就任。平成15年に賀茂別雷神社に奉職し、現職。京都古文化保存協会理事長、日本会議・京都会長、京都府神社庁副庁長、全国賀茂社連合理事長、京都府文化財等所有者連絡協議会副会長等の要職を務めています。
玉串拝礼 [たまぐしはいれい]
榊(さかき)に木綿(ゆう)や紙垂(しで)を付けたものを玉串と言い、これを用いて神様に捧げること。「玉(たま)」は魂であり、人の想いを神様に捧げるという意味が込められています。
勅祭 [ちょくさい]
天皇陛下の使者である「勅使(ちょくし)」が遣わされて執り行われる神社の祭祀(さいし・お祭)のこと。勅使を遣わすことが定例になっている神社を勅祭社(ちょくさいしゃ)と言います。現在、勅祭社は16あり、上賀茂神社はその筆頭格です。
勅使 [ちょくし]
例祭などに参列する天皇陛下のお遣いのこと。勅使が参列する神社を勅祭社(ちょくさいしゃ)と言います。
勅使解除 [ちょくしげじょ]
お祓いをする役である陰陽代(おんにょうだい)天皇陛下から遣わされた勅使(ちょくし)をお祓いすることです。
土屋 [つちのや]
神主以下社司の著到殿(ちゃくとうでん:装束などを整えるところ)として用いられていましたが、現在はお祓いの場所として使用されています。
撤饌 [てっせん]
神様に捧げた神饌を下げること。
鳥子紙 [とりのこがみ]
表面がなめらかで艶があり、耐久性にも優れた高級な和紙。勅祭社(ちょくさいしゃ)に捧げられる御祭文(ごさいもん)にも用いられます。
直会 [なおらい]
神事の後に、神様へのお供え物を下げて参列者一同で飲食をすることです。
ならの小川 [ならのおがわ]
御物忌川(おものいみがわ)と御手洗川(みたらしがわ)の両方が楼門前の玉橋から少し下った所で合流し、境内の東側を南向きに流れていく部分から「ならの小川」と呼ばれています。
微音奏上 [びおんそうじょう]
神様だけに聞こえる小さな声で御祭文(ごさいもん)を読むことです。
幣帛 [へいはく]
神様にお供えする布地のこと。他に食べ物なども含めた場合には御幣物(ごへいもつ)とも言います。
奉幣祭 [ほうべいさい]
式年遷宮の翌日に天皇陛下からのお供え物が奉納される祭。神様にお供え物をする献饌(けんせん)と、お供えした物を下げる撤饌(てっせん)が行われます。献饌では11台がお供えされ、上賀茂神社周辺の美味しい物や初物を献上することも、人間が神様にするおもてなしのひとつです。
本殿・権殿 [ほんでん・ごんでん]
本殿は神社で神様をお祀りする社殿(しゃでん)。権殿は本殿を造営・修理する間、神様を仮に安置するところを指します。
御阿礼神事 [みあれしんじ]
上賀茂神社で5月15日の葵祭の前(5月12日)に行われる祭。また下鴨神社でも、同日午前に「御蔭」(みかげ)の祭が行われます。その際に神様が生まれ変わり、新しい力を備えて蘇られると言われています。御阿礼神事は上賀茂神社の祭儀では最も古くかつ重儀の神事で一般の奉拝は許されていません。
御手洗川 [みたらしがわ]
上賀茂神社の社殿(しゃでん)の西側を流れる川のことです。
御扉開扉 [みとびらかいひ]
神様が祀られている本殿(ほんでん)・権殿(ごんでん)の扉を開くこと。本殿は通常、鍵をかけて扉が閉じられています。
御扉開扉 [みとびらへいひ]
神様が祀られている本殿(ほんでん)の扉を閉じることです。
山背(山城)国 [やましろのくに]
現在の京都府の主要部分。奈良時代の首都である平城京から見て「奈良山の後ろ」にあたる地域であることから来ていると言われています。
遙拝殿 [ようはいでん]
遥か遠くから神様を拝むための社殿のことです。

AGFとKBS京都は、上賀茂神社第四十二回式年遷宮を皆でお祝い申し上げたいという想いから、正遷宮のリアルタイム中継という事業を、上賀茂神社様のご了解の下、実施させていただくことになりました。

“水のご縁”から始まり、上賀茂神社との共同文化事業に取り組んできたAGF。
そして、平成十九年の除幕式以来、式年遷宮の記録を行ってきたKBS京都は、本日の正遷宮の儀を心よりお祝い申し上げます。
そのお祝いを、日本全国・全世界の皆様と共にするため、インターネットによるリアルタイム中継という方法をご提案し、
上賀茂神社様のご了解を得、準備を進めてまいりました。

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